【ルーツ】何も無い「普通の日」が大切〜会社から教員への道〜

【ルーツ】何も無い「普通の日」が大切〜会社から教員への道〜

Pakutaso

コレ、「僕」を語る上で、かなり大切なお話です。お時間のあるときにでも読んでみて下さい

私、 大学の時に「塾講師」で、結構成功しまして、給料もかなり高かったんです

それでね、若気の至りで勘違いしちゃったんですよ

「教育って楽勝だな」

って思っちゃって。その結果、とんでもないことを思いついたんです

「別の道にチャレンジしよう」

って思ったんですね

父親に出来るのだから、自分も可能性に挑戦してみよう、と思ってしまった

うちの親父が営業で結構良い地位まで昇っていたので、それを目指してやろうと思って、取引規模の大きい、営業系の会社を2社受けたら 2社とも受かったんですよ

んでね、1位と2位の会社だったんですけど、1位の方に入ったんです

研修を何回かやって、配属されたのが「日本で一番の売り上げを上げている営業所」「日本で一番の売り上げを上げている部署」でして、そこに新人が配属されるのは もう十何年ぶりじゃないかって言われました

私入れて5人か6人の部署だったんですけど、平社員が私一人だけで、部長が一人、そのほかは全員課長という肩書きの恐ろしい部署でした

どのくらいスゴいかというと、課長の一人が 「先月の契約はかなり良かったからなー」といって、昼休みに「現金」で「プラドの新車」を買いに行くそんな部署でした

会社自体も大きくて 新人でも、冬のボーナスが100万を超えます

「オマエを30代で課長にして年収2000万だ!」

そう言われたのを良く覚えています

現実は違った。「お金を稼ぐ」と言うことの大変さを思い知る

でも、 現実は私の思っていたこととは違いました

実際の仕事は「1日100件以上の飛び込み営業」でして、営業がこういうことをするというのは、親父にも聞いていたし、「大変だ」というのも聞いていましたが、それ以上に「やった分だけ成果が帰ってくるのが良い」という言葉と「たぶん何とかなるだろう」という、根拠の無い自信で飛び込んだ営業の道

毎日飛び込み営業して、断られ続けて、「断られる」ってわかってピンポンを押す毎日を繰り返すウチに、体に変調が起きました

まず、メシが食えなくなり

夜、眠れなくなり

ピンポンを押す指が震えるようになったんです

それでも 「頑張らなきゃ」と思って、必死にやりましたが、どんどん体重は落ち、周りからも心配されるほどでした

目の周りはクマができ、とても営業できる顔ではありませんでした

ますます寝不足になり、朝起きれなくなり、それでも無理矢理会社に通い続けましたが、やはり、無理がたたって 休むハメになりました・・・

しばらく休んで復活して、チャリンコこぎながら飛び込み営業をしていたとき、意識朦朧としながら、とある施設の横を通ったとき、懐かしい、ある音が聞こえたんです

それが 「体育館のバスケットシューズの「キュッキュッ」という音」 でした

そこで思ったんです

「ああ、何でオレ、こんな事やってるんだろう・・・」

つらくて涙が出たのを覚えています

23歳

まだ若い私がスーツ着て、岩手の外で泣いていました

何もかもがうまくいっていた22歳まで

それが23歳で一変しました

研修までは成績もトップクラスで、人事の方にも褒められたくらいです

まあ、普通新人が配属されない部署に行ったくらいですから 評価されていたんでしょう

でも、23歳の私は、自分を知りませんでした

そう、愚かで若かったんです

夜、大学の同級生に電話しました

そこで、彼が言った一言が私の人生を変えました

「だから、オマエは最初から先生やってれば良かったんだよ。何やってんだ。すぐ帰ってこいよ」

20年前ですが、良く覚えています そこで分かったんです

自分ができること

「自分は何でもできるって思ってたけど 「教育」の道しかできない人間だったんだ」

ってことです

教育関係の学部で、教育関係のことだけやってましたので、うまくいっていたんです

それを勘違いして「オレ、いけるかも」なんて思って、別の道にチャレンジして、見事に挫折したわけです

「向いている」とか「向いていない」とか言いますけど、私は、「教育」一本しか無かったんです

それに気付かされまして、会社を辞める方向で話をしたら、東京から偉い人が来て引き留められました

部長にも引き留められ、課長には仕事中に温泉に連れてってもらって慰められ、色々ありがたい対応をされました

 

「はい、サヨナラ」ってはなりませんでした。それが辛かった

 

でも、私の友達の一言がいつまでも胸に響き、結局、固い決意で親にも電話しました

 

親父には怒られ、 母親は泣きました

 

どうしようも無くなって、宮古のじいちゃんに電話しましたところ「おまえの思うようにやりなさい」と言われて 涙が出たのを覚えています

その後、じいちゃんから直筆の手紙が来まして、今でも大切にとってあります

 

「思うようにやれ」とだけ書いてありました

 

じいちゃんもばあちゃんも亡くなりましたが、私の人生を大きく変えた返しきれない恩のある人です

親は納得しませんでしたが、私の体調のこともあり、会社は辞めることになりました

最後の日の朝会で、その近辺の営業所につながる電話朝会で、電話機に向かって、泣きながら言いました

 

「全然役に立てなくてスイマセン。辞めて、岩手に帰りますが、岩手で一番の先生になります。今までお世話になりました。ありがとうございました」

 

最後は 泣きすぎて、なんて言ってるか分からなかったと思いますが、もう、衰弱しきって、体重も50キロ台(身長は181センチです)くらいじゃなかったですかね?異常なほど落ちていました

精神的にやられて、今思えば「心療内科行き」の状態だったと思います

引っ越しが終わり、岩手に帰ってきて、教員採用試験の勉強をしながら、稼がなきゃいけないので、大学時代にバイトしていた塾に行きました

すごく歓迎されまして「そのまま社員になってくれ」とも言われましたが、とりあえず、教員採用試験受けさせてくれ、と言うことで受験しました

どうせ、一日暇でしたので 12時間くらいは毎日勉強していましたね・・・

2次の面接には自信があったので、1次の筆記に全てを注いで無事に通過し、2次も通過して合格しました

そして、「今」

今、先生になって20年経ちますけど 今だに、会社勤めの同期とは、年賀状のやり取りがあります

会社にいれば、今頃課長になって年収2000万円を余裕で超えていたでしょう

でもね、違うんです。

辞めた私だから言えますけど

「朝起きて「今日も頑張ろう」って思える」

コレが大切なんです

私はそれを見つけられた

非常に幸運な部類の人間だと思いますが、いろんな人に感謝したいと思います

私、会社辞めるとき、先輩から「オマエには「次」があって良いな・・・。オレには、家族もいるし、この道しか無いから、辞めるわけにはいかないんだ」って言われたのを良く覚えています

そうなんですよね

世の中みんな「やりたいこと」が分かってるわけじゃないです

でも、私はそういう経験を元に、色々生徒に話をしていますので、まあ、ストレートで先生になった人よりは、深い話ができているかな?とは思います

終わりに

まあ、まじめな話もたまにはしますけど、やっぱり、こういうのは重いですかね(笑)?

でも、私にとっては、絶対に欠かせない自分のルーツであるので、大きな挫折でしたけど、良くこの話は生徒にはするので、記事としてアップしてみました

ちなみに、私にアドバイスをしてくれた友人は、今は中学校の数学の先生をやっております

彼がいなかったら、今の私はないでしょう

それくらい、「自分では何も考えられない状態」に追い込まれていました

今日も授業やHRがあります

今から楽しみで仕方ありません

給料は、いくら公務員といえど 会社の時よりは3分の1以下に減ってます

でもね 違うんですよ。金じゃない。

やっぱりね「よーし!行ってみようか!」って ジャケットをサッと着て(ジャケット着ないけど(笑)) パッと出かけられる、そういう毎日でありたいですよね

今から就職をする方で このブログを読まれている方もいるかもしれませんが、金も大切ですけど「朝」も大切ですよ

もうチョット言うと「明日も頑張るぞ!」と思える、夜も大切です

さあ、今日も張り切って頑張るぞー!

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